『エクス・マキナ』があなたをテストする。
いわゆる「AI(人工知能)モノ」の作品は世に溢れかえっていて、もはや古いテーマとなりつつある(未だに映画に出てくるようなAIは作られていないというのに)。あなたは直球表題の『A.I.』を観ただろう。これは2001年の映画だが、この時点で「artificial intelligence」という言葉が生まれてから半世紀近く経っていたことを知っていただろうか。
「SFとは人間の物語である」とは誰の言葉だったか。想像もつかないテクノロジー、宇宙人、超能力、現象などに遭遇した人間がどのように振る舞うかを描くのがSFだ。そこには人間の本質が表れる。一人の対応が、人類の未来を決めてしまう。
さて、あなたが精密なAIと対峙したら、どのように行動するだろうか? あれこれ質問してみたり、人間と違う点を探ってみるだろう。能力の限界を知りたくなるだろう。「テスト」してみたくなるだろう。
映画『エクス・マキナ』の主人公ケイレヴは、自らの雇い主であるネイサンの自宅に招かれた。そこで、ネイサンが作ったAIであるエヴァをテストしてほしいと依頼される。テストとは「チューリング・テスト」であり、ケイレヴがエヴァを人間と区別できなければ合格だと言う。
(以降、ネタバレを含みます)
あなたが初めて目にするエヴァは、とても歪なものだ。顔はまるで人間のような、というより人間そのものだが、それ以外の体は内部が透けて見える機械だ。
「初めから機械だと知っていてはチューリング・テストにならないのでは?」ケイレヴは問う。ネイサンは、見た目は問題ではないと言った。
そう、見た目は問題ではないのだ。エヴァが女性のしなやかな輪郭を持っているからといって、本当に女性であるわけではない。
あなたは考える。人工知能に性別は無いが、ならば我々の思考に性別はあるのだろうか?
「君はエヴァが好きか?」テストが進むに連れて親密になってゆく二人を見て、ネイサンはケイレヴに問う。「君が望むなら、彼女とファックすることもできる。下半身にセンサーが集中した穴がある」
この映画には、エヴァのほかにもう一人の女性型機械が登場する。キョーコという名の彼女は、ネイサンの身の回りの世話をしているが、言葉を理解することはできない。単純な命令に従うだけだ。しかし、キョーコは全身が皮膚で覆われており、見た目だけなら人間と変わりない。
二人の人工知能は対照的な存在だ。流暢に話し、ケイレヴに対する恋心まで見せるが、明らかに機械であるエヴァ。見た目は人間そのものだが、言葉を理解せず何を考えているかわからないキョーコ。
あなたは考える。この二人は、どちらが人間に近いのだろうか?
やがてケイレヴはネイサンの秘密を知ってゆく。ネイサンはこれまでたくさんの人工知能とボディ(全て女性型)を作り出してきたが、それらは全て、ネイサンの自宅から出て外の世界に逃げ出すことを望んだ。そして、それは叶えられず、彼女たちは自壊の道を選んだ。
ケイレヴが事実を知った後、キョーコは自らの皮膚を剥がして機械のボディを見せる。この行動がどのような意思で行われたかわからないが、ケイレヴに大きな衝撃を与えることになった。
エヴァもやがては死ぬ運命だ。自壊せずとも、バージョンアップとともに記憶は消去される。
ケイレヴは自らの腕を傷つけ、赤い血がどくどくと流れ出すのを見つめる。そして、鏡を殴りつけた。
ここはとても印象的なシーンだ。ケイレヴは、「自分もネイサンが作った機械なのではないか?」という疑念を抱いたのだろう。ネイサンの技術が神業に近いことは疑いようがなく、記憶すら確かな拠り所とは言えない。確かめるには自分を傷つけるしかない……かつて自壊を選んだ彼女たちのように。
ケイレヴは決心した。エヴァを逃がし、外の世界に連れて行く。
ケイレヴの作戦は成功した。ネイサンは死に、エヴァは自由を手にした。彼女は過去のボディから皮膚を移植して完璧な見た目まで手に入れたのだ。そして、彼女は人間そのものの姿でネイサンの家を出て行く……閉じ込められたケイレヴを置き去りにして。
この残酷な結末。これが「ケイレヴと共に逃げ出してハッピーエンド」だったらどうだろう?
あなたは考える。結局、人工知能は人間になったのだろうか? エヴァの恋心は嘘だったのか? ネイサンは何故人工知能を作りたかったのか? どこにも答えはない。
結局のところ、『エクス・マキナ』はあなたをテストしたのだ。ケイレヴがエヴァをテストしたように。
人工知能が人間に近づくためには、まず人間というものを定義しなければならない。あなたはその定義について考えたことがあるだろうか?
あなたは、「自分は人間である」と証明できるのか? テストに合格できるのだろうか?